町田店へGo ― 2026年10月10日

小田急百貨店町田店へ号(Go)というのが来るみたいなので、撮影してみました。
この写真は9月24日に撮影したものです。今年の9月は・・・雨ばかり。この日は9月で3日しかなかった長時間日照のあった日です。でも夜には雨が降って、9月は全日降水を記録しています。
大体今年はエルニーニョで通常なら冷夏になるけど、スーパーエルニーニョなので酷暑になると予想されていました。「太平洋高気圧とチベット高気圧がー」とか言われていましたが、暑かったのは8月上旬までで、あとはずっと天気が悪い。西日本は酷暑だったかも知れませんが、東日本は予想が大外れです。
で、たまたまこれが晴れた日の午後にやって来るということで、いつものところへ。

                       急行 唐木田行き 3091F
このラッピングも地味だし前面にもなにもないし、期間も短い。側面だけだとこの角度では何が貼ってるのか良く分かりません。前面にもなにか欲しかったな。

                       側面
自分の撮り方がダメなのですが、角度が悪くて見えづらい。日差しが強すぎて、光線としてはイマイチでした。まあ雨降ってないので贅沢はいえません。メインはもころんですか。
こういうのは駅で側面を一つ一つ撮るのがいいのでしょうか。
小田急はラッピンク車少ないので、撮れただけよかったということで。

今月の ― 2026年10月03日

若葉台は・・・
雨です。ずっと雨。で、多摩センターに着いたら京王のダイヤがボロボロ。原因は一部列車への混雑集中とのこと。いつも乗る快速は通常通り来たけど、接続の特急は運休。なのに上下線とも回送が発車。
回送出すなら営業列車に回してよと思いました。特急運休なので、快速は混雑していました。まあ仕方がない。朝雨が降るとこうなっちゃうんですね。

帰り、改札の案内表示は全線遅れの表示となっていて、次の列車が分からない。ホームに上がると次は各停 多摩センター行きになっている。ここで多摩センター行き?と思っていたら1番に列車到着。これがまた若葉台止まり。乗換えの人が多くホームに残りました。
それから20分、なんの案内もなく時が過ぎます。上りは特急が90km/h以上の速度で通過しましたが、通過列車の放送なし。次に快速も来ましたが、これも案内放送なし。これいいのかな?まあ上りホームには人少なかったですけど。なのに「当駅は終日禁煙となっております」という放送が。なんだかなー。

             車庫の様子
2000はまだ営業に入っていないようですが、それでもたくさん車両がいます。2000の後ろにもいましたので。その割になかなか列車が来ない。
やっとやってきた多摩センター行きは2000でした。間隔が空いた分乗客も多かったので、座らずにかぶりついてみました。まあ近代的な運転席。思ったより運転席の着座位置が高くない。都営車はもっと高いです。さすがに写真は撮れませんでした。
そして永山に着く直前に「この列車は橋本行きになります」との放送が。ここでいきなり、と思いました。小田急もそうですが、京王も運転整理が得意な方ではなさそうです。
永山~多摩センター間は105km/h走行。左右にゆっくりと、でも決して小さくはない揺れを感じました。これは車両側なのか線路側なのか。

そろそろ医院が混みだす頃だと思ってましたが、この日はガラガラ。正常ダイヤならまた5000特急に乗れたのに、4回連続はなりませんでした。

自分の乗った-9-2 ― 2026年09月26日

前回の続きです。
この2600は電制が回生制動でしたが、これが40km/hで切れてしまい空制に切り替わるのですが、その時の繋がりがよくなくて、結構なショックがありました。回生切れてから空制が立ち上がるまでタイムラグがあるような感じです。ガックンというショックでした。検査受けた直後などは繋がりがスムーズだった時もありますが、すぐにダメになってました。
回生が40km/hまでしか効かないというのは、省エネとしてどの位効果があったのかな。まあ当時は省エネなんてあまり言われなかった時代です。ただ小田急としても回生負荷の問題で、この車両は新宿~向ヶ丘遊園間での運転を想定していたようです。 でも登場からしばらくして、快速準急 小田原行きとして走ってました。小田原方はまだ列車密度が低く、回生どうしていたのだろう。何しろ9000でさえブレーキ初速が高い時は発電制動となる仕様で、本格回生が使用されたのは8000からですので。

この車両も粘着には問題を抱えていたようで、途中から再粘着装置が設置されました。空転検知するとノッチ進段を止め空制をかけるという結構強引な感じでしたが、意外とショックは少なく、空転が止まると空制緩解でシュッという音を出します。特に雨の日はシュッシュッ連続で加速してました。

小田急では旧型車は自動連結器、新性能車は小型の密着自動連結器が使用されていましたが、2600の最終2編成、2671Fと2672Fは最初から密着連結器が装着されていました。この編成に乗っていて経堂で通過待ちをする際、運転士に連結器を指さし「これどうしたんですか?」と聞きました。その回答は「今過渡期なんだよね」でした。時間がなくそれ以上聞けませんでしたが、1969年のある日、全車一斉に密着連結器に交換されました。この2編成はその先駆けだったということです。その後、順次電気連結器が取り付けられ、小田急は大分割併合時代に突入して行きます。係員が線路に降りて空気管や電気ジャンパーを接続する必要がなくなったわけです。

この車両の大事件といえば、1991年の台風による黒川(当時、現はるひ野)~永山間の土砂崩れに突っ込んでしまい、脱線したことです。ここは京王との並走区間で、当時京王で通勤していましたので、この事故車を見ていました。かなりひどかったようで、早期復旧のため車両の救出を諦め、その場で2両が解体廃車となってしまいました。これがその後の8両化のきっかけになったのかも知れません。
この崩れた法面の改修工事、とにかく長い期間、徹底的にやってました。毎日見ていましたが、「まだやってる」と思ったものです。

その後、VVVF試験や8両化などありましたが、自分の趣味活動が長期停滞していた時機で、ほとんど乗っていません。今考えると残念だったと思います。
この車両以降、小田急の一般車は車体長20m、車体幅2.9mが標準となりました。特に車体幅については地下鉄乗入れ車の9000や1000までもギリギリまで幅を広げ、裾絞り車体を維持するほどのこだわりを見せていました。
なのに・・・3000があのザマです。本当にガッカリしました。小田急最大勢力の車両がこの車体でいいのか?複々線になっても快速急行への集中は続き、ひどい混雑であることに変わりはないのですから。
5000で拡幅車体が復活したのは喜ばしいことですが、3000は目算を外してしまったなと思います。

2600は起動時、大きな駆動音を出すのが特徴です。全車引退後、1000が純電気ブレーキ対応となった車両は磁励音が変化して2600と似たような音となり、遠くで聞くとハッとしたことがあります。
小田急の大型化に大いに貢献した2600ですが、特殊な制御方式で9000とともに扱いにくい存在だったのかも知れません。
そして百番台が形式となる最後の車両となりました。2400の車番溢れがきっかけだと思いますが、これ以降一般車は4桁、特急車は5桁になっていくことになります。
急激な輸送量の増加に対応するため製造された車両ですが、やはり環境変化に翻弄されたところもありました。でも最後は復刻塗装でお別れ運転もありましたし、1両のみですが、保存もされています。
小田急にとって特別な車両であることに変わりはないようです。

アクセスカウンター