自分の乗った-22025年11月15日

2回目は1600、1700、1900です。
この3形式、登場からの経緯をみるとかなり異なる車両なのですが、私が記憶している1970年前後では、外観的にも性能的にもほぼ一緒(1700第3編成だけは張上屋根でしたが)という感じなので、まとめました。
こげ茶色の2両または4両編成で走っていて、1700は格下げ改造され4両編成に、1900も4両編成でした。台車についてはこの形式までの多くがイコライザ式のまあ古くさいものでしたが、1700だけは非常にコイルバネの目立つFS108でした。写真を探したのですが見つからず。まさに重厚長大といった感じの台車でした。乗心地の差はというと、印象にないので、大きくは違わなかったのではないかと思っています。

1700、1900は新造サハや改造車を入れて4両化していて、そのサハにはOK17という特異な形状の台車が使われていました。あれ、これは1700だけだったかも知れません。これは軸梁式台車で軸箱と一体になった梁が可動ピンで台車枠に取り付けられているものです。これも写真は発見できませんでした。当時は変な形の台車と思っていましたが、今小田急の一般車の台車は3000以降すべてこの軸梁式となっています。この軸梁式、利点もあるが欠点も多く長く採用されなかったようですが、欠点が克服されたのか、今やJR東など一大勢力になっています。

もう一つ台車といえばクハ1651にMD5という空気バネ台車が採用されていました。当時小田急には空気バネ台車を採用しした一般車がなく、乗った時は必死でその乗心地を感じようとしましたが、なぜか他のT車との差が分かりませんでした。停車した瞬間の反動時にフワッとした感じがあったものの、それ以外はコイルバネ台車との差を感じとれなかったのを覚えています。
ここで出てきた3種の台車、いずれも写真が見つからないのが残念です。

これらの車両はHB車と違い自動加速のABF制御車です。運転士の負担はかなり軽くなったのではないでしょうか。旧4000に主電動機を譲って廃車されましたが、OM-ATSの設置対象外となり廃車となったものもあるようです。

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